在宅医療の常識を変える挑戦 ― 「江戸川モデル」を全国へ【前編】
東京都江戸川区東瑞江、都営新宿線「瑞江駅」から5分ほど歩くと、総ガラス張りが特徴の白いモダンな建物が見えてくる。2018年に開所した「しろひげ在宅診療所」だ。
『在宅医療はかかりつけ医が看取りまで行うのが本来の姿』という強いポリシーを掲げ、在宅医療が地域に成熟していなかった江戸川区に開所。同診療所で診ている患者の約8割が末期のがん患者や精神疾患を持つ患者など重い症状を抱えているが、どのような疾患、重症度、生活環境であっても患者を断ったことは一度もない。24時間365日、緊急対応にも必ず応じている。
「家に戻りたい」「家で最期を迎えたい」という患者の思いに徹底的に寄り添い、患者と家族の‘‘幸せな時間をつくる”ためにチーム一丸となって取り組んでいる。
院長の中山光茂氏はアフリカ支援や当時全国最年少の33歳の若さで三重県松坂市長も務めた異色の経歴を持つ。山中氏が歩んだ軌跡や在宅診療に対する想いをたどりながら、しろひげ在宅診療所の強みと、山中氏が目指す在宅医療のあるべき姿に迫った。
※本記事は、DOCTOR’S MAGAZINE 2026年6月号(No.317)「FORTE-日本列島医療機関探訪-」掲載記事をもとに、しろひげコンシェルジュ向けに再編集しています。



‘‘しろひげ”の由来
映画「赤ひげ」の主人公のように、誰からも頼りにされる医師になりたいという決意や、漫画「ONE PIECE」に登場するキャラクターで、海賊団の仲間を本当の家族のように「息子たち」と呼ぶ‘‘白ひげ”に由来。「家族のように温かく患者に寄り添う」「家族のような温かい組織に」という想いが込められている。
“1拠点展開”と‘‘全員常勤”で
在宅医療のモデル地域を目指す
院長の山中光茂氏は、かつて‘‘自分が生きている意味”に懊悩(おうのう)する少年だった。
「ある日、テレビを見ているとエチオピア難民支援の映像が流れてきました。他者の幸せのために自分の人生を使う。これこそが自分の生きる意味になると思ったんです。」
慶應義塾大学法学部卒業後、外交官試験に合格したが、群馬大学医学部に学士編入。外交官は大国間外交が中心で自国利益が優先される。一方、医師であれば現場で人と直接関わりながら、他者の幸せの為に自分の人生を使うことができると考えたからだ。医師免許取得後はケニアにてエイズ支援プロジェクトを立ち上げ、孤児支援をはじめとした地域課題にも取り組んだ。山中氏は医師としてだけでなく、一人の人間として他者の幸せの役に立てることを実感した。
その後も医師業一直線とはいかない。帰国後は、医師の仕事を行いながら三重県松坂市長を2期務め、市積の圧縮や市立病院の黒字化を実現する。改革が実現した背景にはトップダウンでななく、現場の声を丁寧に聞く徹底した「現場参加型」によって職員や市民に当事者意識と行動力が育まれたからだ。
市長退任後は在宅医療の道に進み、2018年にしろひげ在宅診療所を開所。アフリカ支援や市長時代の経験も運営方針に大きく反映されている。医師1人、看護師3人、事務職4人の8人でスタートしたクリニックは、現在、医師15人、スタッフ総数約200人にまで急成長した。年間患者数は単独の在宅診療所では日本最大規模の約2000人、在宅看取り率は80%以上と非常に高い水準を誇る。多くの高齢者が「自宅で最期を迎えたい」と希望し、近年日本では在宅診療所が増えているが在宅看取り率はわずか約15%にとどまり、先進国の中で極めて低い。こうした要因を山中氏はこう語る。
「在宅診療所は増えましたが、非常勤医師やアルバイトスタッフが対応しているところも少なくありません。経営効率や職員のワーク・ライフ・バランスのためには有用ですが、患者さんの背景をよく理解していない医師が対応すれば、医療の質や看取り率も低下してしまいます。こうした状況は、在宅医療が病院医療よりも『一段下』だと偏見を生む一因になっている。」
フランチャイズ展開が主流の在宅医療界において、しろひげ在宅診療所は江戸川区に根を貼った1拠点のみで事業を展開し、医師や各専門職、ドライバーや事務職に至るまでスタッフ全員が常勤という珍しい特色を持つ。医師は緩和医療に精通し、医療、看護はもとより質の高い介護も24時間提供可能な体制がある。そのため、他院が断るような重症患者や独居高齢者、自殺企図などの精神的問題を抱える患者にも対応できる。それを表す事例として、数年前、希死念慮がある中学生の女の子を引き受けたケースがある。通院が難しく、在宅診療も複数の診療所から断られ家族は途方に暮れていたという。山中氏がその子の診療を担当することになった。2年間にわたる治療で幸い精神症状は安定し、母親からは「先生が診てくれなかったら2年前に娘を失っていたかもしれません」と涙ながらに感謝された。
「私たちはこれまで、どのような患者さんも断ったことはありません。それを可能にしていてるのは、常勤スタッフが、患者さんと深く関わり信頼関係を構築してくれているから。そのためリスクのある難症例への対応や看取りも可能です。
『最期まで家で看取ることができます』と言えるのは私たちの強み。さらに、ご家族の負担が大きくならないよう介護環境を整えることも大事な仕事の一つだと思っています。」

